2013年7月30日火曜日

天皇杯の「源流」を求めて ~神奈川県サッカー選手権大会 神奈川大学対横浜猛蹴編~

昨年偶然出会った横河武蔵野FCの奮戦ぶりに感動し、今まで興味が薄かった「天皇杯」という大会にもっと注目しようと思うようになった。
勝ち上がってきたJのクラブから見える天皇杯は、それなりに知っている。
では、横河武蔵野FCの様な「予選から這い上がった」チームには、どのような「天皇杯」の光景が見えるのだろうか?




その答えを探しに、私は保土ヶ谷サッカー場に足を運んだ。
大会名は「神奈川県サッカー選手権大会」の2次トーナメント。
簡潔に説明すると、県協会に登録されている社会人・大学・ユース・高校等のクラブが競い、県の頂点を目指す大会である。
そして、この2次トーナメントの優勝クラブが、県の代表として天皇杯への切符を得る事ができるのだ。

対戦カードは神奈川大学対横浜猛蹴。
前者は昨年関東大学2部リーグに降格し、捲土重来を目指すチームだ。
学生時代に何試合か見た事があるが、手堅く闘うチームという印象だった。
そのあたりの伝統は変わっていないのだろうか?

一方、後者は「ヨコハマタケル」と読み、関東サッカーリーグ2部に所属するチームである。
一部のローカルサッカーファンの熱狂的な支持(?)を見ているうちに名前を覚えてしまい、せっかくの機会なので足を運ぼうと思った次第である。
簡単に予習をしてきたところ、なんと前日に関東リーグ戦(7/27・三菱養和SC ○3-0)を戦っている。
要するに、この試合は連戦となる。
相当な疲労はあるとは思うが、選手達の表情は明るく、スタンドも友人や親御さんと思しき人たちで盛り上がっていた。

「天皇杯」らしい異なるカテゴリー同士のぶつかり合い。
徐々に晴れ間が見えて汗ばむ陽気の中、キックオフの笛が吹かれた。




序盤にペースを掴んだのは横浜猛蹴。
【3-4-2-1】のフォーメーションからワイドに攻め、連戦などお構いなしの徹底的なハイプレスを仕掛ける。
神大もサイドに出来たスペースを狙い、10番の伊東のドリブルからチャンスをつくろうとするが、機能的な攻撃を生み出す事ができない。


この日の私的MOMは鳥毛(背番号28)です


前半25分、相手ボールを奪取し、右サイドに展開。
素晴らしいクロスから相手ゴールへとシュート攻勢を仕掛け、ポストに当たったこぼれ球をFWの鳥毛が冷静に決めて横浜猛蹴が先制する。
30分にはまたもや鳥毛が相手陣内でインターセプトし、DFとGKを冷静にかわして追加点を挙げた。
前半は2-0のまま終了。
ここまでであれば、横浜猛蹴にとっては文句なしの展開だった。

後半は一転、横浜猛蹴の運動量が大幅に落ち込み、神大のパワープレー攻勢に苦戦する。
前半終りに足を負傷した鳥毛が退いたこともあり、ハイプレスも利かなくなる。
神大は長身の背番号27にひたすらボールを集め、じりじりと横浜猛蹴のディフェンスラインを下げていった。
華麗な個人技と激しいボールの奪い合いとなった前半とはうって変わり、晴れ間が見えて気温も大分上がったピッチでは消耗戦が繰り広げられていた。

後半34分、そして後半ロスタイムと立て続けに横浜猛蹴はオウンゴールで2失点。
掴みかけた勝利はポロリとこぼれおち、PK戦でも粘り強く全員決めた神大が2回戦へとコマを進めた。

PK戦を見つめる両チーム


勝ったとはいえ、神大への評価は難しい部分がある。
特に気になったのは「ピッチから声が聞こえなかった」ということだ。
10番の伊東、ゲームキャプテンの須郷を中心におっ!というプレーはあったが、連携が上手くいかずいつの間にかボールを奪われる…パワープレーをする前は、こういうシーンが繰り返されていた。
声を掛け合い、お互いの意志疎通をはっきりさせれば解決しそうな問題であるだけに、何とも歯がゆい出来だった。
次は今年関東大学サッカーリーグ1部に昇格し、健闘する桐蔭横浜大学。
大学版「神奈川ダービー」になったが、「元1部」の先輩としての意地を見せて欲しい。

横浜猛蹴としては悔やんでも悔やみきれないゲームになった。
前半はハイプレスが機能していたが、次第にプレスが利かなくなり更にはラインも下がり…と悪循環が目立つ後半になってしまった。
攻守の核である鳥毛が負傷交代で抜けてしまったのも痛かった。
とは言え、不利な状況でも必死に足掻こうとする姿は胸を打つものがあり、ある意味ではこっちの方が「純粋にサッカーを楽しむノスタルジー」を感じさせるものがあった。
チーム戦術に忠実であり、しっかりコミュニケーションを取りあう姿は神大の選手たちも目に焼き付けて欲しいものがある。




トーナメント戦らしい劇的な試合ではあったが、「天皇杯」というよりも両チームにしろスタンドにいる人間にしろ「通過点の1試合」という雰囲気が試合後には漂っていた。
やはり上流部分の1試合だけでは、「カタルシス」や「杯の重み」を感じるのは難しいのかもしれない。
ただ、どんどんこういう試合を辿り、積み重ねていけば、自分の中にも新たな思い入れが出来るのではないかとも感じる。
保土ヶ谷の小さなスタジアムから国立競技場に向かって、こんこんと泉は湧き出し、流れているのだ。

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